父(馬太郎)は昭和の時代を、竹職人として生きてきた。
かごがなければ日常生活がなりたたないといわれた時代、まさにかごは生活必需品であった。そんな時代にあって、父は地域に根ざした。
二代目は、息子の正一(現館長)
ところが昭和30年代になると、プラスチックなどの工業製品が出現し生活様式が急変して、この地方にも、せっかく技術を覚えた職人たちが去っていった。そんな中自分も果たしてこれから先、竹で生きていけるかという選択におわれるなかで、私は残された者の使命を痛感した。自分がしなければこの地方から竹の灯が消えていってしまう、こういう時代だからこそ竹の仕事を続けなければならないのではないか・・・。
それから昭和50年代になり、ざる、かごを使わなくれも生活していける時代がきてしまった。そこで父と相談し、竹の分野になにかないかと考えたすえ、「小型開運くまで」を開発した。このくまでなら、「1年間家庭を守ってくれたくまでを神社に納め、また新しい年には買う」ということでビジネスにつながる商品として今でも新井竹芸の主力商品である。
その他にも竹炭の開発、涼み台、幣束の串当で、その時代に合った商品の開発に力を入れ、これから先竹の代用品が多くなる時代に、竹の魅力を出した商品に力を入れていきたい。